怒りの根っこには必ず、「私が正しい」という思いがある『怒らない練習』
ところが私の意見は正反対である。私が「私は正しい」と思わなくなったら誰が「私は正しい」と認めてくれるのか。正しくない私に生きる価値はあるのか。私はむしろ、「私は常に正しい、故に『私が正しくないと思うもの』に対しては常に怒っていなければならない」と思う。調査や討論の末、実は私が正しくないのであれば謝罪する。が、私自身は「私は常に正しいと思い続ける」ことが私の存在理由である、と考える。だから私はいつも怒っている。間違っていないと思う。いかがか。